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リンク先再度変更のお願い

 投稿者:代理人です  投稿日:2016年 3月17日(木)13時19分57秒
返信・引用
  リンク頂いています、
「五期主計南雲始末記」
リンク先を下記に変更しました。
再度で申し訳ありません。
digi2が今年春で終了になりましたので、
やむなく下記に引っ越しました。
http://mr36.jp/ww2j/strv/

http://mr36.jp/ww2j/strv/

 
 

第19警備隊

 投稿者:私も埼玉在住の孫  投稿日:2016年 3月17日(木)12時14分15秒
返信・引用
  先日、やっと祖父の軍歴を入手しました。 祖父は「ボルネオ」に行った と言っていたのですが軍歴には第19警備隊と記載されていました。 ビアクの事はなにも語りませんでした。幸運が重なったのでしょう、19年9月にパラオに移動、そして20年12月に故郷に戻りました。復員し、最寄の駅で降り、自宅まで歩いていく途中「これは夢ではないか」と思ったと言っていた意味の重さにい
まさらながら気が付きました。子供にも平和の大切さを伝えていきます。
 

リンク先変更のお願い

 投稿者:代理人です  投稿日:2013年10月19日(土)06時57分57秒
返信・引用
  こんばんわ。

リンク頂いています、
「五期主計南雲始末記」

リンク先が下記に変更になりました。
http://mr36.digi2.jp/ww2j/strv/

ついでの時で結構ですから
変更して頂ければ幸いです。
事情によりNINJA様利用解除が原因です。
作者死亡後LOGON-PWが不明になりUP不能
になり別のHP-URL取得になりました。

上記から「玉砕の島・まえがき(ビアク島からの生還)」
は貴殿の最新のURLへ変更しておきました。

追伸
五期主計~の作者、石川台司氏は
数年前に亡くなりました。
HP維持は代理人がやってます。

http://mr36.digi2.jp/ww2j/strv/

 

祖父の軌跡

 投稿者:埼玉在住の孫  投稿日:2013年 3月17日(日)08時15分43秒
返信・引用
  先日、祖父の名前をなにげなく検索するとこのサイトにつながりました。祖父は、2000年8月に他界しましたが、生前戦争のことはなにも語らなかったと
聞いております。今の自分が存在するのは、あの戦火の中、祖父が生き抜いたことです。このサイトは私ども親族に大きな衝撃を与えました。
あらためて祖父への思いを馳せるとともに、多くの犠牲者への供養をしていきたいと思います。祖父は、本当にトマトが大好きでした。

こちらのサイトは後生へ伝えていかなければならない大切なものです。私も自分の子供へ伝えていきます。
管理していただき、ありがとうございました。
 

Re: (無題)

 投稿者:小田切芳太郎  投稿日:2012年10月 4日(木)17時50分6秒
返信・引用
  今後の日本のためにもこのHPは是非残してください。お願いします。


管理人さんへのお返事です。

> 最近、テレビ放送の効果で、ビアク島のことに関心を持たれはじめているようです。
> これまで、殆どマイナーな戦争地域でしたが、ようやく正しい評価が示されて来たものと思います。削除も検討したHPですが、当面このままにしておきたいと思います。
>
> つたない記録を読んでいただき有り難う御座います。
 

山形県中津川村小屋

 投稿者:小田切芳太郎  投稿日:2012年10月 4日(木)17時47分57秒
返信・引用
  先日祖母が亡くなり、除籍謄本を取得して“西部ニューギニア ビアク島モクメリで戦死した親族がいること”を初めて知りました。。 大正15年7月25日生まれの小田切芳太郎は、24歳でビアク島で昭和20年1月10日戦死と書いてありました。
36歳の私はニューギニアの場所すら知りませんでしたが、「ビアク島からの生還」HPとNHKの戦争証言アーカイブスのHPなどで今日初めて歴史を学ぶことができました。 ビアク島で今でも遺骨が野ざらしにされているかもしれないと思うと心が痛みますが、その存在を知ることが出来ただけでも弔いになればと思います。

大変参考になるHPをありがとうございました。 私の子供の世代にも戦争の悲惨さを伝えていきます。

 

建築第69中隊

 投稿者:北海道メール  投稿日:2011年 9月19日(月)19時12分5秒
返信・引用
  私の祖父は、昭和19年6月にビアク島にて戦死しました。祖母の生前、戦争の頃の話をしてくれたことがありますが、当時の自分はまだ若く、今後に聞き伝えるべき事柄を詳しく尋ねることがなかったのが悔やまれます。祖父は18年10月に旭川市から出兵したようですが、どのように最後をむかえたのか、69中隊というのがどのような動きをしていたのか、なかなか知ることができません。もし、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、是非お教えください。宜しくお願いいたします。  

叔父の足跡探し

 投稿者:Iwatekomaメール  投稿日:2010年12月28日(火)12時06分34秒
返信・引用
  父の弟はビアク島で戦死しました。父は7年前に他界、そのあと位牌を守っていた兄も亡くなり、私も戦後生まれのため、叔父を知る者も亡くなりました。父の遺品を整理してましたところ、叔父の写真に昭和20年6月2日戦死とあり、調べたところ戦死公報の前に亡くなっているのではと疑問に思いました。
県に兵籍簿の問い合わせをして足跡を調べましたが書類はありませんでした。
昭和18年雪部隊の一員として、ビアク島に北支から転進したことは父から聞いていました。
ビアク島での戦闘が激しく、過酷な状況で食料も弾薬もない中で戦死。書類も処分され何時どこで本当に戦死しているのか理解できません。今だ野に曝されている遺骨の中に叔父もいると思うと居たたまれません。このホームページに出会い叔父の追悼ができました、ありがとうございます。
戦争の知らない戦後生まれのお爺さんとして、子や孫に戦争の恐ろしさを伝えてまいりたいと思います。
 

私の父もビアク島でした

 投稿者:門池メール  投稿日:2010年 8月23日(月)11時43分8秒
返信・引用
  私の父(1985年没)もビアク島にて戦った日本陸軍兵士でした。私が幼少の頃より、父はビアク島での体験をよく話してくれました。とにかく圧倒的な米軍の前に、何ともならず、食料もなく絶望的な戦いを強いられたそうです。現在の我々から見れば、想像を絶する世界です。父は生前病床で、「戦死した戦友を弔うためビアクに行きたい」とよく言っていました。私も機会あればぜひビアク島を訪問したく思っております。  

ビアク島に斉藤徳太郎、もしくは岩手県盛岡市の斉藤隆さんはいませんか?

 投稿者:斉藤 晃  投稿日:2010年 1月30日(土)02時34分48秒
返信・引用
  はじめまして。
わたしは岩手県盛岡市在住の斉藤と言う者です。

祖父が生前ビアク島の生き残りであると聞いてました。
それを確認すべく、こうしてメッセージを書いた次第です。

よろしくお願いします。

http://green.ap.teacup.com/akirasaitou/

 

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