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おじさんは反抗期 24

 投稿者:shiger  投稿日:2007年 6月10日(日)22時22分43秒
  「穴の歴史的宗教的考察」

人間の身体には穴がいくつ開いているだろうか?
男は9個 女は十個・・・。
助平な人はすぐにそう答えるであろう。しかし、そんなに少ない訳がないのである。
毛穴って存在があるではないか。つまり人類は全身穴だらけの生物なのである。
この全ての穴を使って、あらゆるものを入れたり出したりしながら生きているのである。
ただ一つだけ女性の穴には例外があり、この穴を使って入れたり出したりする時に限り
「死ぬ・死ぬ」とおっしゃるご婦人方もいるが、なぁに実際は死ぬわけがない。
ますます強靭に生きている。死にたいのは男のほうである。
話を戻そう。人類の身体にこの無数の穴を創ったのは誰であろうか?
驚いた事には、こんな素朴な疑問に誰も答えられないのである。
ダーウィンもメンデルもアルキメデスもキンゼイ博士や荻野博士も答えられないのである。
いや、疑問にも思わないと云う初歩的な過ちを犯しているのだ。
文部科学省の方々はこの現実をどうお考えだろうか?
日本政府の見解を野党のみなさんは追及するべきである。
これは大問題である。
教育基本法改正案などクソ喰らえ!
まずは人類の基本的な疑問、人類の穴は誰が創ったかを知るべきである。
俺は知っている。
知っているからこそ、こうして問題提起できる訳である。
人類の穴はすべて神様が創ったのである。
歴史上も神様は穴倉が好きである。だいたいどこの洞窟に行ったって奥の方に神様がいるじゃない。
だからこそ神の子である人類はミスを犯したり、恥をかいたりすると「穴があったら入りたくなる」
のである。
だいたい俺たちの子孫は穴の中に住んでたんだしね。
さらにもっと決定的な証拠はナポレオンは例外として人類はすべて穴の中から生まれてきたのだ。
こうして人類を穴の中から誕生させた神様だもの、人類の身体を穴だらけにしたのも神様である。
と言う俺の学説に誰が反論できようか、出来る訳がないのである。
あまりにもバカバカしすぎて・・・。
さて人類を穴だらけにした神もひとつだけミスを犯している。
それは毛穴は別問題として、あとの穴に関し性器以外の穴は全て本人からは見えない位置に開けた
ことだ。(鏡なんて道具は無しだぞ)
特に自分の尻の穴なんぞは生涯見ることはないだろう。
鏡を使ったって見にくい、無理すれば横っ腹いためそうだし・・・。
好奇心の強い俺だってまだお目にかかったことはない。
このように見えない穴を創った神の意図は何なのだ。
これにはどんな意味があるのであろう。
神の仕業である、何か深い意味があるのに違いない。
俺はこの問題を生涯のテーマにして研究してみようと思う。
なぜケツの穴は本人から見えないのか?
このタイトルで単行本書いても売れそうじゃないか。
興味のあるアナたはぜひご参加いただきたいものである。
 

おじさんは反抗期 23

 投稿者:shiger  投稿日:2006年 7月17日(月)19時13分27秒
  「一日一便は誤りです」

皆さんは一日に何回ウンコしてますか?
えっ毎朝決まって一回だから健康そのもの・・・。
それが誤りなんです。
どこの健康オタクが言ったか知れないが、一日一便にはなんら根拠がありません。
多分、それは知ったかぶりの藪医者連中が「一日一善」を誤用したものと思う。
俺は長い人生の経験上、この一日一便が他人に及ぼす迷惑を明らかにしておきたい。
こう云う問題は国会はおろか、テレビのワイドショーでも取り上げないが実は由々しき社会問題なのである。
最近、オナラの回数が多い事を自覚してる人が多いそうだ。
キンゼイさんの報告やオギノ式調査でも明らかである。
丸の内や人気の下北沢商店街でもよく聞く。
このオナラの多発現象の原因は、間違いなく一日一便の悪習である。
なぜならば、ウンコが一日に一回などと云う決まりは、自然界には存在しない。
なのにインチキ健康情報に唆され毎朝一回ウンコして、そそくさと会社や学校に行く人が多い。
考えてほしい。人間のウンコは24時間製造されているのである。
朝出しても午後には、次のウンコの先頭集団がすでに肛門の近所に終結しているのである。
そして早く門を開けろと大騒ぎする・・・この現象がオナラである。
こうして一日一便遂行者は午後になると、やたらオナラをしでかす。
夕方のラッシュの電車内などナチスのガス室にも匹敵するほど凄惨極まりない状況になっている。
車内ではお互いに我慢すればと云うが無理である。
君がやるならぼくもやる・・・関東の連れオナラが今や全国に蔓延しているのである
この大きな社会問題を解決する方法は、ぜひ冷静になって一日一便の愚行をやめていただきたいのである。これには厚生労働省や環境庁にも問題意識を持っていただきたいものである。
犬を見てほしい。外に行けば必ずウンコをするではないか。
カラスだって人間が下を通ればするではないか。
金魚など一日中、気持ち良さそうな垂れ流し状態である。
この大自然界において一日一便など、神をも恐れぬ人間だけの蛮行と知るべきである。
因みにこの俺様は、雀のように好きなときに好きなだけを心がけているが仕事上無理な時は仕方なく「一日三食三便」を遂行しているのである。
つまり毎食後である。医者の薬と同じである。
これなら忘れないで済むし、入れたら出す・・・これこそ物理的に鑑みても根拠があるのである。
 

おじさんは反抗期 22

 投稿者:shiger  投稿日:2006年 7月17日(月)19時10分59秒
  「見せるブラジャーの考察」

やれ男女同権だの、ユニセックスだの世の中の女どもが叫んで久しい。
俺たち聡明な男たちは「いいよいいよ」と女の為になんでも開放してきた。
最近では男のトイレにまでオバサンがドヤドヤ入ってくる時代になった。
これは完全なセクハラだが諦めるしかない。
相手が世界に冠たる日本のオバサンだから仕方ないのだ。
このパワーにはあの傍若無人なキム・ジョンイルだって敵うまい。
そうだ、キムさんに日本のオバサンをまとめて拉致してもらえないか、誰か頼んでくれないかな。
安部さん、次期総理としてこれを北朝鮮に提案したらどうだろう。
すでに拉致された人びととの交換要員にでもしてみたら・・・。
閑話休題・本論に戻す。
大相撲の土俵だって外国人だらけなんだから、女に開放すりゃいい。
ついでにふんどしつけて相撲とってくれたら人気も回復するかもしれない。
少なくても俺は見たい。
ただし女はブラジャーをつけても仕方が無いだろうな。
いやー今回は長い枕だった。
やっとテーマに入ったぞ。テーマはブラジャーの考察だ。
最近、女性の間で見せブラ・・・つまり見せるブラジャーが流行っている。
大変に結構な事だと思う。
今年の夏は、谷間見せブラなんかも登場して、暗い事件の続く世の中に光明がさしたようだ。
女性が男の為に、その美しい谷間をただで見せてくれるのだ。
ムカシは隠れて覗き見したり、お金払って見たものが、なんと白昼堂々無料で拝見できるのである。
長生きしていて良かった。時代は男の天国だ。
この調子であとニ、三年たてば下の谷間だって見せてくれ・・・ないだろうな。
もっとも谷間見せブラに、俺はお願いがある。
それは年齢制限をつけて欲しいのだ。それも上のほうだけにね。下は幾ら若くても問題ない。
いくら谷間がよくっても、ババアの谷間は見たくないではないか。
あれはワイセツ物といっていいくらいの物体である。
しかし、流行に遅れまいとするのか、はたまた男へのサービスのつもりか、谷間見せブラをやってるオバサン連中が多いのは困った社会現象である。
小さな親切、大きな迷惑とはこのことだ。
これこそ環境の問題であるから小池百合子大臣にはなんとかしていただきたい。
ババアが谷間を見せない法案をぜひ次期国会に提出していただきたいと思う。
オバサンにはブラジャーそのものを禁止にしても良い。
どう考えたってオバサンのブラジャーに何の意味があるのだ?
ブラジャーってのは、ルイ王朝のフランスで美しきマドモアゼルが、美しい乳房をさらに美しく整えるために作られたものである。
日本のオバサンのために作られたのではないのである。
歴史的に洞察しても即刻やめていただきたい。
その代わりに男の腹巻を貸してあげようじゃないか。
ただし、小池大臣の見せブラ着用は許すとしましょうか。
賛成の方、ご起立願います。
 

おじさんは反抗期 21

 投稿者:shiger  投稿日:2006年 7月16日(日)23時39分4秒
  「金的袋を考察する」

神は時として人間にむごい仕打ちをなさる。
それもよりによって男だけに・・・。
神が我々哺乳類の雄をお創りになった時、なんの恨みがあって一番大切なものを、一番粗末な場所、つまり体外にお創りになったのだろうか。
これじゃ邪魔者扱いである。
それも実に粗末な袋に入れてである。
俺は男のあの袋が美しいと感じた事は今だかつてない。
美しいどころか醜悪である。
思わず目を背けたいくらいだ。
外に出すなら出すで、もう少し格好の良い入れ物を創れなかったのか。
ブランドもののバッグとまでは言わないが、シワシワの巾着袋に毛まで生えていちゃ、誰だって目を背けたくなる。
俺にはチンチンの袋を体外に創った神の意図が理解できない。
この積年の疑問を、俺は母校である上智大学の神父さんにぶつけたり、イタリアのバチカン王国へ行った折も枢機卿に聞いてみたが埒が明かなかった。
俺の質問の意図が理解できなかったようだ。
俺は全ての哺乳類の雄を代表して質問したのだ。
「なんで雄の一番大切な器官である睾丸を粗末な袋に入れて外に出しっぱなしにしたのですか?」
「これによりどれだけ雄が苦労しているか、神はご存知ですか?」
ライオンは袋の中のタマが揺れて草原を走りにくく、また枯れ枝に引っかかったりして、どれだけ獲物を逃したことか。
河馬は水の中で袋をピラニアに突付かれどれだけ怖い思いをしたことか。
寝相の悪い象は、睡眠中に己の体重でタマ袋を押しつぶし、どれだけ痛い思いをしていることか。
そそっかしい俺はしばしばテーブルの角に袋をぶつけ、どれだけ失神したことか。
しかし、枢機卿の答えは簡単明瞭だった。
「動物園で聞いてください」
馬鹿も休み休み言って欲しい。これは動物園などで解決する問題ではない。
これは神が哺乳類の全ての雄に与えたセクハラである。
レオナルド・ダビンチもこのことには気付いていないのが悲しい。
気付いていれば先の映画で取り上げた筈である。
彼の才能も高が知れていると云うことだ。
しかし、男の大切なものを粗末な安っぽい袋に入れ、それを邪魔な足の間にぶら下げ外敵の晒し者にするとはなんと云うことか。
百歩譲って外部に出すとしても、オデコの上とか、脇の下とか、背中とか方法はなかったのか。
口の中なんてどうだって、考えただけで吐き気がしてきた。
タマ袋の正式名称は「陰嚢」というが、こんな字を書ける奴はほとんでいないだろう。
インノウ・・・嚢は元々の語彙は「ふぐり」と言って財布など物入れの意味もあるが、元は松の実・松ぼっくりのことだ。
俺たち男の一番大事なものは、松ぼっくり程度の価値観なのである。
まぁ訳知り顔で神の見方をする輩は、タマ袋は中のタマタマの温度が一定になるように外にだしてある。などと前世紀のタワケた学説を吹聴するが、とんだ間違いである。
哺乳類の雄はアフリカの熱帯から、北極の極寒の海の中まで住んでいる。
なのにタマ袋がみな同じ位置ってのは、どう説明するつもりなのか。
枢機卿でも、動物学者の先生でも整形美容師でもいい。
この地球上の哺乳類の雄の為に、この先どうしたらいいか考えていただきたい。
エエイ、この陰農(インノウ)が目に入らぬかって、ありゃ印籠(インロウ)だった。
もっとも、コウモンには近いけど・・・。
 

おじさんは反抗期 20

 投稿者:shiger  投稿日:2006年 6月13日(火)21時42分36秒
  「立ちション禁止はセクハラである」

皆さんに悲しい事実を報告しなければならない。
なんと自宅において小用を足す・・・早い話が小便する時アンビリバブルなことに座ってやる男が急増しているのだ。
日本の家庭は今、ほとんどが洋式トイレ・・・そこでウンチの時のように便座を下ろし座して小便する男が50%以上もいると云うのだ。
馬鹿いっちゃいけません!
太古のムカシより日本男児は立って小便、座ってウンコと決まっているのだ。
光源氏、聖徳太子、国定忠治みんなそうだった・・・と思う・・・。
座りションなど恥ずかしくて外国人には見せられない。
「我男の子、意気の子、名の子、剣の子、詩の子、恋の子、嗚呼 悶えの子」
この現実には与謝野鉄幹も怒り狂うであろう。
「敷島の 大和心を ひと問わば 朝日に匂う 山桜花」
この精神こそが日本男児、大和心の継承者なのである。
それが平成になってなんと云うこのおぞましき現実、昭和は遠くなりにけり。
まぁ確かに世の中の女どもが言うように、洋式トイレに立ってオシッコするのは時に水流が射程圏外に飛び出すこともある。北朝鮮のテポドンに似ている。
俺だってしばしば・・・いやタマに・・・ある。
チンチンのことだからタマにある・・・オヤジギャグ言ってる場合ではない。
俺のようにアカデミックな人間は、なぜ小便が便器外に飛び出すのか・・・その原因の考察に力点を置くのだ。
それは寝ぼけてチンチンがグンニャリしている場合。
夕べ山芋食いすぎてチンチンが硬直している場合。
特技にしようと両手離しで放尿した場合。
これが三大原因であろう。これさえ注意すればいいのだ。
世の女どもに小便のやり方まで指図されることはない。それでは完全にセクハラではないか。
くやしかったら女どもが立ってオシッコしたらいい。男の気持が理解できる筈である。
立ちションは男子固有の文化なのである。
山の頂きで、緑の野山で、清き川原で、都会の電信柱でする立ちションは、大和男児のアイデンティティなのだ。
それを座ってやれだと・・・座ってやっても男には絶対不可能な時がある。
それはご婦人方には解からないだろうが、朝立ちの硬直状態の時だ。
「朝立ちや 小便までの 命かな」
松尾芭蕉も言っているが、これは毎朝男が感じる生きている事の証なのである。
この状態の時、便座に座ったらどうなるか?結果は一目瞭然、悲惨な結末が待っている。
我が水流は公園の噴水の如く天空に舞い上がり落下するか、うっかり覗き込む己の顔面に放水されるであろう。
俺は声を大にして言いたい。日本男子よ、決して座して小便はするな。
俺も立証検分を兼ねて先日、座りションベンしてみたが、これが結構楽でね。
くせになりそうだ。だから絶対に座って小便はするな・・・頼む。
 

おじさんは反抗期 19

 投稿者:shiger  投稿日:2006年 1月16日(月)09時14分51秒
  「行く…と言う言葉の考察」

行と云う字は元々は十字路を表した象形文字である。
人の多い道のイメージから「行く」という意味にも使われたのだ。
そうすると日本のご婦人方はこの言葉を誤って使っていることになる。
そう、スケベな、いや聡明な方はすぐ気がついただろうが、愛の最中に女性がしばしば発するあの言葉、「行く行く」だの「行っちゃいそう」だのは完全な日本語の誤用である。
日本中のどの辞書をみても、そんな意味はない。
いったい誰が最初に言い始めたのか、この大事な問題には金田一春彦も柳田国男も触れてはいない。
これで国語学者と言えるのだろうか。
ならば斎藤 孝か田中康夫と思うが彼らはスケベではあるが金に成らない研究はしないだろうな。
ならば俺が考えるしかないのである。
この「行く」を歴史的に洞察すると明治維新あたりから使われ始めた新語だと思われる。
西洋文明と一緒に入ってきたのである。
西洋の女性が「アイ アム ゴーイング」なんて悩ましく叫ぶのを翻訳して使いだしたのであろう。
それ以前に行くという言葉はなかったからである。
それまでは「まいります」と言っていた。
しかし、この言葉はあの最中には使われた形跡が歴史上の文学書を紐解いてもないのである。
なぜなら意味が紛らわしいからである。
「まいります、まいります、まいりました」では謝ってしまうことになる。
女性はいつの時代でも男に謝る訳がない。
ところで最近、男どもがこの「行く行く」を使い始めたという声を耳にするが、これは完全な言葉の誤用であり、女性に誤解を招きやすいから使うべきではない。
男の発する「行く行く」は翻訳すると「もうだめだ、ごめん、ギブアップ!」なのである。
女性の「行く行く」とはまったく意味が違うのである。
さて、男女の使用方法の差異と、「行く」の歴史は理解されたであろう。次はなぜあの最中に女性たちはどこかへ行きたがるのであろうかという疑問についてである。。
「行く行く」を耳元で最初に聞いた時なんぞは「どこへ?」なんて質問して張り倒された経験は俺だけではないだろう。
「行く行く」に続いて「死ぬ死ぬ」も発するところから推理すると、女性が行く先は天国か地獄であろう。
このご婦人方の行き先について俺は真剣に考えてみた。
しかし、行った後すぐまた「お願い、もう一回」なんてネコなで声でおねだりするところから推理すると地獄はありえない。きっとそこは天国なのであろう。
天国は分かるがなにしろ俺は一度も行ったことがないから具体的にはわからない。
俺は自分だけが知らない事がなにより嫌いな性分である。
だから女性が行く天国にぜひ行ってみたい。そこが知りたい。
その上、不思議な事に女性は行くと言いながら、身体はそこにあるのである。
つまり「行く行く・行っちゃった」とは言うが身体は行ってないのである。
ということは、医学的見地から女性の行く先は精神の移動のみなのである。
ここで俺に光明がさした。
精神の移動なら俺も一緒に行けるはずではないだろうか。
なんとかエクスタシー状態の女性にしがみ付いていれば行かれるかもしれない。
便乗すればいいのだ。こんな簡単なことになぜ日本の男たちは気がつかなかったのであろう。
よーし!天国に行くぞーとは思うが、はたと難題にぶち当たった。
女性をその状態にするまでが不可能に近いほどの地獄なのである。
世の中ってやつは思うようにはならないものである。
しかし近頃、男に天国まで連れて行ってもらった後で金品を要求するご婦人が多いのには困ったものである。
その物理的運動労力並びに貢献度からみても、感謝の品をいただくのは男のほうではないのだろうか。大きな声では言えないが・・・。
 

おじさんは反抗期 18

 投稿者:shiger  投稿日:2005年12月24日(土)10時03分30秒
  「人間の進化論に異議あり」

ちょいと難しい話をするが、ついてこられるかな?
今、欧米ではダーウィンの進化論に対してIDつまりインテリジェント・デザインとの論争が盛んである。IDとは人間の進化には神のおおきな意志が働いていると云うことなのだ。
つまりダーウィンの言うような人間は猿から進化したのではなく、神様の何らかの意思が働いて進化していると云うことなのだ。
どちらの進化論でこれからの子供たちを教育するのか、これで大人たちが論争しているのである。
実にばかばかしい。
まぁ日本はダーウィンの進化論を支持しているようだが。
しかし、俺から言わせれば、人間なんてまだそれほど立派に進化してやしないのだ。
俺に反論する奴がいたら、医学者でも生物学者でも歴史学者でも神学者でも束になってかかってこいってんだ。
俺たち人間なんて生き物はまだまだ進化の途中なんだ。
完全に完成されたものではない。
その証拠が男の乳首である。
男になんでこんなものがあるのだ。
触ったって気持ちよくもなんでもない
ミルクを製造できるわけでもない。。
相撲取りのように太って垂れ下がってもブラジャーするわけにもいかないのだ。
これが神がつくったものなのか。
どこが進化しているのだ。
サルや狸となんら変わらないではないか。
まだあるぞ。男のチンチンはなぜ真中にあるのだ。
だいたい人間の身体は左右対称でシンメトリーに作られているのに、なぜ、何の理由でチンチンは真中に存在しているのだ。
このことはダーウィンもキンゼー博士もオギノ博士も見てみぬ振りをしている。
この真中にあることで世界中の男たちが実に不便な生活を強いられているのを女性たちはご存知なかろう。
まずど真ん中にあるからズボンを履いた時にどちら側に置くかで悩むのである。
仕方無しに右利きは左側に、左利きは右側に置くことが多いが、これは無責任なことに親も学校の先生も教えてはくれない。
男はひとり孤独に様々な経験から所定の位置を決めているのである。
このチンチンの位置を神の意思でデザインしたと云うなら神様は男性差別である。
進化論で考えるなら退化としか思えない。
まだまだある。男の睾丸は二つあるが、左右でなぜ大きさが違うのだ。
真中にあってタマの大きさが違えば当然重さも違う、身体の平衡感覚がずれるではないか。
最近どうもまっすぐに歩けないと思ったら原因はこれだったのだ。
驚いたことに作家の谷崎潤一郎は気が付いていたようだ。
彼の代表作である「鍵」のなかにこんな文章がある。
「右の睾丸はゆっくりとアワビがうごめくように上り下りの運動をするが、左の睾丸はあまり運動する様子がなかった。」
なるほど動き方まで違うならバランスがとれないはずである。
日本を代表する純文学者が言っているのであるから間違いなかろう。
俺には谷崎潤一郎が自分の睾丸を見て書いたのか、人のを見て書いたのか凄く気になってしかたがないのであるが。
まぁ話を戻すが人間なんてろくに進化してやしない動物と考えれば納得できる。
その内に進化して髪の毛なんかも無くなる人類がでてくるだろう。
地球よりも進化している火星人を見ろ。髪の毛などないタコではないか。
俺は来年の学会で論文を発表する予定である。「禿げ頭進化論」
もう、アデランスなんかいらないのだ。
今、世界を巻き込んでいる不毛な論争などより、はるかに人類のためになると思うのだが…。。
 

おじさんは反抗期 17

 投稿者:shiger  投稿日:2005年12月24日(土)10時01分20秒
  「勃起の秘密を検証する」

長年に渡り日本医師会が避けて通ってきたものが勃起の秘密である。
「朝立ちや 小便までの 命かな」
男なら経験のあるこの不思議な現象…これすら医師会では解明できてはいない。
チンチンはなぜ寝ている間に本人である持ち主の了解なしに立つのだろうか。
そして小便と共になぜ惨めに萎んでしまうのか。
これを日本医師会では単なるチンチンの錯覚または誤作動と済ましているが、あまりにも無責任な結論ではないだろうか。
これから経験するであろう全国の少年たちには正しい知識が必要である。
それなのに我が国の厚生労働省や文部科学省の役人どもは知らん振りである。
ならばこの勃起の秘密を俺が解明、検証しようではないか。
そもそも勃起とは「陰茎が硬直状態になること」と全ての国語辞典には無責任に書いてある。
しかし、漢字の成り立ちからみれば、勃起とは「勢い良く立ち上がる」ことであり、陰茎の硬直とは決まっていないのである。
だから椅子から勢い良く立ち上がることも勃起なのである。
電車に座って居眠りして、駅であわてて立ち上がることも勃起なのである。
これには男女の区別など無い。女性だって立派に勃起できるのである。
なのに男性に限定して使うのは性差別ではないのだろうか?
まぁこの問題はいずれ最高裁で解決しよう。
さて通常の男の性的勃起であるが、これは信じられない事に本人の意思では如何ともしがたいことなのである。
ご婦人方はまさかと思うであろうが、自分の所有物なのに自分の言う事を聞いてくれないのだ。
立って欲しい時に立たず、立たないで欲しい時に立ってしまうことがしばしばある。
一体全体どうなっているんだと、我がチンチンに叫んだ事があるのは俺だけではないだろう。
満員電車の中での勃起ほど辛いものはない。
思わずポケットに手を入れてチンチンを握りつぶしてしまいたいのだが、その刺激でさらに元気を増したりしてしまうのである。
この勃起は物理的に考えれば、チンチンの海綿体に多量の血液が流れ込んだ状態である。
そしてさらに年齢と共に勃起の角度が違うのである。
これを発見したのはフレミングである。彼の左手の法則は学校でも教えている。
それを観察するなら左の手のひらを広げて下腹部に持っていくのである。
その時の親指の角度が十代、人差し指が二十代、中指が三十代、薬指が四十代、小指が五十代以上であるが、例外もある。世界には九十代で親指ってじいさんもいる。
まぁ小指の角度の男はほとんど下を向いてギブアップ状態である。
さて、我がチンチンがスポンジのような海綿体でできている事は面白いが、反面真面目に勃起を考えると気持悪いなぁ。勃起は血のかたまりかよ。
考えただけでインポテンツになりそうだ。
そう言えば近頃インポになるやつが多いそうだね。
インポとは医学的には性交不能症というが、俺が見るところ原因はほとんど女性側にある。
男がインポになる主な原因を列記してみよう。
性交の最中に女性から金品を要求された時
性交前に女性が化粧を落とした時
絶頂時に女性がオナラをした時
性交中に女性が違う男の名前を叫んだ時
…と挙げたらきりが無いほどインポの原因はすべて女性なのである。
気をつけていただきたいものである。
 

おじさんは反抗期 16

 投稿者:shiger  投稿日:2005年11月20日(日)23時40分44秒
  「割れ目ちゃんの文学的考察」

文学者なら必ず悩むことがある。
このことに悩むか否かで文学者であるか、エロ作家であるかが決定すると言っても過言ではない。
そして俺は勿論悩んでいるのだ。
それは女性のアソコ…すでにこのアソコと云う表現で俺は文学者ではないかも知れないなぁ。
では、すでに一流の文学者と呼ばれる作家はアソコをどう表現しているのか…俺は真摯な気持で調べてみた。
日本が誇るノーベル賞作家の大江健三郎はその作品の中に少女のアソコを書くことが多い。
大江さんも結構スケベである。
その表現は「少女のセクス」とか「少女のクリトリス」とかどこが文学的なんだと言いたいほどそのまんまの表現である。
これでいいなら俺だってノーベル賞などわけなく獲れるぞ。
では女性作家はどうだ?
平林たい子は「鬼子」のなかで「半熟の水蜜桃を思わせる可愛いもの…」と表現している。
なかなか美味しそうな表現であるが、これがおばさんのアソコならなんと書くのかぜひ知りたいものだ。
まぁ一流の文学者でもこの程度であるからアソコの表現は厄介である。
そこで真面目な性教育書で知られている「なぜなの ママ」で使われて重宝されている表現があるので教えよう。
それは「われめちゃん」である。
これは少女のアソコのことで、大人のそれは「われめさん」だと・・・。
あまえら!まじめにやっとんのか!と叫びたくなるが、この性教育書は真面目な本なのである。
NHKの番組審議会でも表現法が論議されたことがあり、その時も少女のは「ワレメちゃん」
一般には「オマンマン」でどうだろうと真剣に検討されたそうだ。
もう、NHKなどに受信料払いたくねーや。
しかしマジな話、日本の文学界はアソコの表現法として「割れ目」が今や主流だそうだ。
割れ目を俗語辞典で引くと、「陰門」とある。
陰門はあるのに陽門はない。前が陰門なのだから後ろが陽門だと思ったら、後ろは肛門だったのだ。
この矛盾にこの国の文学界は気付いていないのである。
なんと無知な奴らが多いのだ。文学界なんて所詮その程度のレベルなのだ。
だいたい割れ目と言ってもどこまでが割れ目なのだろうか。
尻は割れ目ではないのか。
尻まで含むのなら俺にもわれめちゃんがあるぞ。
しかし、割れ目よりも溝みたいなおばさんも多いと聞く。
さらに溝よりも地震の後の地割れに近いおばさんもいると聞く。
なんと未知でおそろしい女の世界の不思議・・・。
このことについては文部科学省よりもむしろ、厚生労働省の見解を聞きたいものだ。
 

おじさんは反抗期 15

 投稿者:shiger  投稿日:2005年10月30日(日)23時20分10秒
  「毛ジラミを生物学する」

結論から述べると、毛ジラミは生物学的には宇宙の悪魔である。
これに関してはファーブル先生もシートン先生も異論はないだろう。
俺がこいつに出会ったのは、忘れもしないまだ時代は昭和の頃だった。
読売テレビの仕事で関西へ行き、夜に小林亜星さん、三笑亭夢の助と俺で雄琴温泉へ繰り出したのだが、生憎のお休みで仕方なく妖しげなサウナへ行った。ここでおもろい話があるのだが、その話はお二人に差し障りがありそうなので、ここまででやめよう。
で、帰京して一週間ほどたったある日、俺がシャワーしている時であった。俺の陰毛に黄灰色のゴミが付いていた。
それを指で摘んでよく観ると動いているではないか!
そいつは1ミリほどの六本足の見たことのない虫であった。
そいつを捨てて、また陰毛に目をやるとまだ虫がいる。それも何匹も何匹も・・俺は驚いて陰毛を掻き分けた。
そいつは15匹もいたのだ。
この日から俺とそいつの長い戦いの日が続くことになる。
翌日調べると15匹ほどいるのだ。退治して翌日調べるとまた15匹以上いるのだ。なんという繁殖力なんだ。
俺はまず敵を知ることから始めた。
赤坂のTBSラジオのひと気のない図書資料室で俺はやつの事を調べた。
奴の名は毛ジラミだった。毛ジラミ科の吸血昆虫だそうだ。
なんだ、たかが毛ジラミか…敵が分かりゃこっちのもの、今晩かたずけちまおう。
俺は家に帰り風呂を沸かした。
風呂に浸かって敵を窒息死させる作戦である。
が、この水攻め作戦は失敗に終わった。
敵が窒息死する前に俺がのぼせちまうのであった。
次は赤チン攻撃である。俺は股間にたっぷりの赤チンを塗った。
が、これも結果は失敗だった。赤チンでくたばる相手ではなかった。
俺はパンツを三枚も赤チンだらけにしてしまった。
その時、パスカルの言葉が浮かんだ。「人間は考える葦である」
俺は葦のように考えた。
そして即ひらめいた。奴らの生息場所を無くしちまえば良いではないか。なんでそんな単純なことに気が付かなかったのだ。
俺は我が愛しの陰毛を惜しげもなく剃り落とした。
久しぶりのスッポンポンの我が下腹部は可愛らしかった。
これで全滅と思ったが、大間違いだった。奴らは卑怯にも毛穴の中に住み込んでいたのである。
毛穴から頭だけだして笑っているように俺には見えた。
このやろう、俺はピンセットでやつらの頭をつまんで引っ張り出そうと試みた。ピンセットには奴らの頭だけが」千切れてとれた。
さらに驚くべきは、奴らは、千切れたもう一方の下半身だけで翌日には再生してしまうのであった。
これは完全に地球外生物である。
文部科学省も認識したほうがよろしかろう。
俺は独力で戦う事を断念し、行きつけの赤坂病院へ行った。
込み合っている待合室で待つ事しばし、顔見知りのエンドー看護婦めが「河村さーん」と呼ぶだけなら良いものを大声で「先生、河村さん毛ジラミだってぇ」と叫びやがった。
すると主治医の金子先生めまでもがデカイ声で「毛ジラミはうちじゃ治らないよ。水銀軟膏でも塗っとけ」だと。
俺は人々の冷たい笑顔を背中に病院を出た。
さて困った、水銀軟膏が特効薬だそうだが、発売が禁止されて病院にはなかったのである。どうすりゃいいんだよ。
俺は水銀軟膏を求めて町を彷徨い歩いた。
まるでヤクを探し回る麻薬患者である。
しかし、ここまで追い詰められても俺の頭は実に冷静であった。
そうだ、毛ジラミなんてものは芸人なら詳しいのではないだろうか。
芸人なら夢の助だ。なんせ毛ジラミは、あいつと行ったサウナで移されたに違いないのだから。
俺は夢の助に電話した。「夢ちゃん、毛ジラミって知ってる?」
「知ってるも何も、あっしこないだ毛ジラミ貰っちゃって」
「で、どうした?」
「へー水銀軟膏で一発です」
「水銀軟膏何処で手に入るの?」
「あっしが持ってますが…」
「貸してくれ!それ!」
という訳で夢の助が水銀軟膏を届けてくれた。
「先生、水銀軟膏は三時間以上付けてちゃいけませんぜ、皮膚がただれちゃいますから」
「そんなに危険な薬なのか・・・」
「へーだから発売禁止なんで・・・」
その夜、俺は水銀軟膏をスッポンポンの下腹部にしっかりと塗りつけ、待つ事三時間のつもりが熟睡しちゃって気が付いたら朝であった。
俺は青くなって飛び起き風呂場で洗い流した。軟膏を塗った皮膚は真っ黒にやけどのようになってしまった。
が、あの悪魔のようなあいつは俺から跡形もなく立ち去っていた。
あれから幾年月、いい加減に許してやりたいが奴らだけは許せない。
昨日の敵は今日も敵である。
 

おじさんは反抗期 14

 投稿者:shiger  投稿日:2005年10月15日(土)23時21分18秒
  「フリチンの物理学的考察」

大変嘆かわしい事に、近頃フルチンとフリチンの区別がつかない日本人が多すぎる。
それでも日本人かと叫びたくなるのは俺だけであろうか。
まぁ百歩譲って女性が知らないのは善しとしよう。
が、男が、大和の男がこの違いを知らないとは嘆かわしい限りだ。
そんなことだから国連の常任理事国入りも出来なかったのである。
フルチンは下半身がスッポンポンの状態であるのは言うまでもない。
一方フリチンはチンチンを振ることである。
チンチンを振る・・・女性には経験しようもない行為であるが、男にとっては日常茶飯事の行動である。
チンチンはいつ振るのか?
別にお別れの時に振るわけはない。これは人に見せるものではない。
しかし、男なら誰でもするこの行為を誰も教えてはくれない。
チンチンの振り方を親とか先生とか友人から教わったことは皆無であろう。そう、男のこの密やかな行為は自分自身で身に付けなくてはいけない。人間がパンツやズボンを掃くようになってからの宿命である。
振らないとチンチンの竿の中の残尿がパンツに染み込んでしまうのである。パンツの素材が木綿ではなくポリエステルの場合はズボンまで染み出すこともある。
白やベージュ色のズボンだと丸いシミができて、乾くまで人前に出られなくなる。これにはまいるよなぁ。
この経験をしたことの無い男はいないであろう。
小泉総理だって、ヨン様だって、ベッカムだって経験があるはずだ。
ないとは言わせない。
地球上で毎日何十億人の男たちがチンチンを振っているのに、この振り方に未だかつて流行やらスタイルが無かったのが不思議である。
チンチンを振るときの音楽もない。
ぜひチンチンの振り方を考案して流行らせたいものだ。
マツケンサンバが流行るくらいだから、こっちだって分かったものじゃないぞ。
さて諸君は正しい振り方を知っているだろうか。
最近トイレで観察しているが、どうも振り方を手抜きしてる奴が多い。
おさらいをしてみよう。
まず一通り出したら、もう一度チンチン周辺の筋肉に力を入れて残尿を排出する。十代ならこれでいいが、ニ十代ならもう一度やったほうが良い。三十代は三回、四十代は四回。
年齢に比例して残尿を出す回数が決まる。これを発見したのはオギノさんだったか、アンネさんだったかなぁ。
年齢と共に切れが悪くなるのは如何ともし難いのである。
切れがないのに泡がある。ビールと似ているね。
さてここからが大切である。
自分のチンチンを自分の指で掴む。間違っても横の人のモノを掴んではいけない。
掴む指は親指と人差し指が正統派である。
人差し指と中指の人もいるが、これはJTスタイルでタバコの持ち方である。また極少数派であるが、薬指と小指ではさむ奴やバットのように手づかみする見栄っ張りもいる。
さて親指と人差し指ではさんだら、上下に五回振る。
決して横に振ってはならないぞ。隣の人に迷惑がかかる恐れがある。
さてこの振り方で最近の顕著な傾向であるが、大多数の男が間違っていることがある。
俺は長年の観察で遂に発見したのだ。
こんど日本医師会の総会で発表するつもりだ。
それはチンチンを振らずに腰を振っている輩が実に多いのである。
これはとんでもない愚行である。フラダンスじゃあるまいし、便器の前で腰は振るなと言いたい。
おっさんが前後に腰を振ってる姿は気持が悪い。中には上下に振ったり、左右に振る奴までいるが、民族が違うのではないかとさえ思ってしまうのである。
諸君、便器の前で腰を振るのはよそうじゃないか。
俺の知り合いで振りすぎてギックリ腰になった馬鹿がいたぞ。
 

おじさんは反抗期 13

 投稿者:shiger  投稿日:2005年10月 9日(日)17時15分59秒
  「言葉の乱れを考察する」

昨今、若者を中心にした日本語の乱れを悲嘆する声を聞く。
声を発して偉そうにしている輩は国語学者や社会評論家であるが、乱しているのは若者だけではない。
偉そうなお前さんたち先生だって乱しているぞ。
大体言葉なんてものは、惚れた男の前でシナを作る後家さんみたいなもので、常に乱れていて良いのである。
金田一先生だって柳田先生だって日本語の乱れを止めることはできないのだ。言葉は乱れ、矛盾だらけであることが自然なのである。
疑うなら、その証拠を見せよう。
チンチンと言う言葉がある。ご丁寧に「お」をつけて、おチンチンとも言う。これは男の子のイチモツのことであるが、ではこれに対比する女の子のものは何と言うのだろう。
マンマンとか、おマンマンとは言わない、俺の生活圏ではね。
すでにこのこと一つでも、言葉は男女平等ではない。
さらにこのチンチンは幼児のイチモツだけでなく、犬が後ろ足で立つことや、ヤカンの湯が煮えたぎる音や、静まり返る風景の沈沈や、「ちんちんかもかも」なんて男女の楽しい、もつれ合いの意味まである。
これほどに言葉に複数の意味があるなんて、完全に国語学者のいい加減さではないか。
中国語でチンチンと言えば、「お入りください」になる。
チンチンが何処に入るのだって・・俺も乱れてきちゃったな。
閑話休題
もう一つ言葉の乱れの事例を示そう。
糞と云う言葉がある。
これをクソと訓読みすると人間のウンコであるが、フンと音読みすると他の動物のウンコになる。クソとフン、この両者にどれほどの径庭があると云うのか。とても論理的に整理された言葉とは思えない。
またクソなんて言葉は間違っても女性が言ってはいけない言葉である。
乙女の口からクソなんて言われたら俺は死にたい気分になってしまう。
しかし、日本の乙女は平然と言っているのである。
「私ってクソ真面目なの・・・」
に始まり、へたクソ、目クソ、耳クソ、鼻クソ、クソ度胸、ぼろクソなど、これを乱れていないと言い切れる学者がいたら出て来い。
「おしっこ」と言いながら「おうんこ」とは言わないこの矛盾。
女性が使う便器でも「金かくし」と言うこの矛盾。
女性に隠す金があるのならぜひ、見せてほしいものだ。
事ほど左様に言葉と云うものは、乱れているものなのである。
だから偉そうに若者の言葉の乱れを注意するのは止そうではないか。
はーい!そうしますって俺のことだったよ。
 

おじさんは反抗期 12

 投稿者:shiger  投稿日:2005年 9月 4日(日)15時21分5秒
  「男のサイズについての考察」

女が男を選別する時ほどシビアな瞬間はないだろう。
異性の選別については、男は一瞬、女は一生の買い物なのだから男を選ぶ女性の行為を打算と片付けてはいけない。
その女性のシビアさが可愛いではないか・・・。
さて女が男を選ぶポイントはなんと言っても大きさである。
恥ずかしがり屋の大和撫子は身長だと言うがこれを信じてはいけない。
正確には身長ではなく寸法である。隠しても俺には分かるぞ。
男女間において身長など何の問題もない。背の高低など寝ちまえば皆同じなのである。そして人間の男女は寝るのが好きである。
世の女性たちが身長に拘るのは、身体が大きければあそこも大きいだろうと言う、これは全くの希望的観測に過ぎない。
身体が大きいからイチモツがでかいと云うものではない。
チビにもでかい奴がいる。
デブにも細い奴が・・そうそうあれは10年ほど前だった。
「シゲルちゃん、どうしても相談に乗って欲しいことがあるんだよ」
と、小林亜星さんからの電話。
で、赤坂の料亭の一室、人払いをした亜星さんがやおらズボンを降ろして「チンチンがなくなっちゃったよ」
見れば亜星さんの腹の皮が下に落ち込んできてイチモツをほぼすっかり飲み込んでしまっていた。
それは啓蟄の候、土中より顔をだしたミミズの頭のようであった。
いやぁ亜星さんには悪いが俺は笑い転げて止まらなかったなぁ。
「これじゃセックスどころか小便もできなくてね」
で、亜星さんがこんな秘密を俺に知られても見せたのは・・・
「明日、手術するんだよ。一週間で抜糸したらこれが女性に使用可能か否か試したい。ついてはその時同行し見届けて欲しい」
と言うことだった。
面白いことが大好きな俺は二つ返事でオーケーした。
まぁこの結果は別の機会にしよう。で、なんの話だっけ・・
そうそう、だから男を選ぶなら身長ではなく、取って置きの秘策があるから教えよう。
これは有史以来伝わる人類の黄金律であり法則である。
「末端肥大は正比例する」
これを学問として研究したのはキンゼー博士だったかオギノさんだったか忘れたが、確かに鼻がでかい奴や指が太い奴はあそこも立派である。
しかし諸君、これはイチモツの格納時の大きさである。
大切なのは活躍時の大きさであろう。医学的には勃起と呼ぶ状態であるが、さらに言えば、勃起時のイチモツの大小、長短を気にするは素人である。
大切なのは機に及んでの瞬時の膨張率なのだ。
これを世界保健機構ではヤング率と言う。
このヤング率を人類学的に見ると黒人、黄色人種、インディアン、イヌイット、ユダヤ、ラテン、ゲルマン、アングロサクソンとなる。
アングロサクソンは格納時は馬鹿でかいがヤング率は最悪である。
勃起とは本来勢い良く自立することであるが、彼らのそれは杖をついてヨタヨタ立ち上がる風情であり、お気の毒である。
さて男のイチモツの奥義は深い。ヤング率の次に求められるのは形状である。姿・形の美しさである。
これの最高はそりである。そりと言っても髪の毛やトナカイには関係ないぞ。日本の名刀には美しいそりがあるが、イチモツのそりは名刀のそりと同じである。
イチモツに大切なのは硬度とそりであることを理解されたと思うが、さらにもう一つ大切なのが持続力である。
どんなに立派なイチモツでも鶏のようにあっという間に萎んでしまっては女性を喜ばせるどころか殺される恐れもある。
朝マラや 小便までの 命かな。では悲し過ぎる。
だから心有る男は日夜この持続力アップのために努力を惜しまない。
昔からの金冷法に励む者、ブラシで百叩きする者、コブラやオットセイエキスに頼る者など様々である。
中には命がけでバイアグラ常用者もいる。
こうして手にいれた硬度と持続力を試すテストがある。古来より伝わるのは襖破りであるが、最近では障子も貫通できない奴もいるそうだ。
実に情けない。俺たちのように海で育った者は砂山に刺して己を磨いたものだった。
こんなこと女には知られたくないビーチボーイの秘密である。
まぁ世のご婦人たちには今後、正しい知識で男の選別をされることを祈るとしよう・・かな。
 

おじさんは反抗期 11

 投稿者:shiger  投稿日:2005年 7月 9日(土)15時39分31秒
  「男の包茎を考察する」

これは人間、特に男の進化論の分野である。
本来ならその筋の専門家・・ダーウィンとかメンデルあたりが取り組むべき問題であるが、彼らはこのことをなぜか放棄してしまった。仕方がない、俺が論じよう。
包茎とは別名を皮かぶりとも云う。
医学的には陰茎を包む包皮が剥けて亀頭が世間に露出しない状態を言う。
本来、男が大人になった証拠みたいなもので、女性のオッパイの膨らみや生理みたいなものである。
が、これは非常に個人差がある。ここだけの話にしておいて欲しいのだが、俺は物心ついた時にはすでに包茎ではなかったのだ。
これは今まで誰にもしゃべった事のないことなので、ぜひ内密にお願いしたい。
餓鬼のある日、ふと自らのイチモツを見ると、その形状が友とは違うのである。
まだまだ可愛い坊やなのに、下半身だけ大人なのである。
それ以来、俺は人前で裸になれない子供になってしまった。
俺の夢は早く心身とも大人になって心行くまで皆の前で裸になりたいことであった。
大人の今、俺の露出癖は、そんなトラウマがあったのである。
閑話休題
俺とは正反対の人々、つまり包茎の大人について俺はある発見をした。
それは民族の進化と包茎である。
俺の観察では、これは主に六本木のジムの風呂場であるが、包茎を民族で分類するとアングロサクソン、ゲルマン、ラテン、メキシカン、チャモロ、エージアン、ブラックの順である。
身体のデッカイ、シラッチャケたアングロサクソン人がもっとも包茎が多いのである。
これは人類学的進化が遅れているのである。
地球上で一番優越的民族である彼らがもっとも進化していない民族なのだ。
そういえば彼らがもっとも毛深い民族であることも理解できよう。
気の毒にも進化が遅れているのである。
この事実を反映して国連も常任理事国を決定するべきだ。
俺は包茎から民族の進化を研究したのであるが、この論文はいずれ世界の学会で大いに評価されることであろう。
ノーベル賞なら断わる。どうせくれるならもっと文学的な貢献で貰いたいのだ。
しかし、男のイチモツを医学界はなんで陰茎、亀頭などと呼ぶのだろう。それを包む皮が包皮だと・・そのまんまじゃないか。
センスが悪すぎるにもほどがある。
せめて陰茎は如意棒、亀頭はナチスの鉄かぶと、包皮は刀の鞘とか帽子なんて名称を使えばいいのにね。
それにしても、今回俺は禁断の秘密をしゃべってしまった。
恥ずかしくて明日から町を歩けないなぁ。
 

おじさんは反抗期 10

 投稿者:shiger  投稿日:2005年 6月27日(月)22時53分35秒
  「便意を科学する」・・前作NO9好評につき・・

便意とは前作「便意を文学する」で論じたように悪魔の意志である。
便意は絶対に本人の意思ではないし、便意をコントロールする事など至難の業である。
だから便意って奴はとんでもない時に訪れて人間を困らせるのだ。
諸外国の人々も古来よりこの問題には頭を悩ませていたようで、この現象・・つまり便意が訪れると「NATURE COLLS ME・・やだぁ自然が私を呼んでるわ」なんてすでに諦めムード、便意と戦おうなんて気は更々ないのである。
しかし、俺は戦う。敵が強力なら強力なほど俺の闘争心は燃え上がるのだ。人間は数十年も前に月に到達したのだ。
インターネットは瞬時に地球を駆け回る。
このなんでも出来る時代に人間が便意を克服出来ない筈がない。
そこで俺はこの便意と敢然と闘う決意を固めた。
俺に便意がやってくるのは仕方がない。俺も生物であり飯を腹いっぱいに食っている以上我慢しよう。
いや、むしろ便意には来て欲しい。便秘は辛そうだ。
来て欲しいが、俺が望まない時、場所では遠慮していただきたいのだ。
そりゃ、便意の欲するまま何処にでもできたら幸せだろう。
カラスやライオンや金魚のように自由に糞ができたらどれほど素敵なことか。
そうそう、この糞だけどこの字は面白いね。米が異なるものになるのが糞だって。誰が考えたんだろう、ほとんどオヤジギャグじゃないか。
で、なんの話だっけ・・そう便意との戦い方だった。
だいたい人間の便意の意識の持続時間はたったの15秒だそうだ。つまり15秒我慢すれば第一波は凌げるのである。
これは便意に限らず、人間の欲望や殺意なども15秒しか持たないのである。
カッとしたら、まず心で15数えなさい。15秒後にはもう気持が変わっている筈だ。
これでアナタは犯罪者にならずに済む。よかったね。
しかし、便意って奴は、さすがに悪魔の手先である。15秒我慢してもすぐ第二波が襲ってくる。さらに第三波、第四波・・・
便意って奴は津波みたいな奴である。
しかも津波より卑怯な事に一波、二波、三波と来るたびにウンチの先端が少しずつ肛門の出口に近づいて来るのである。
まるで「達磨さんが転んだ」みたいに後ろから近づくのだ。
そして人類の場合は個人差はあるが、第五波くらいでウンチの先遣隊は肛門に到達するのである。
つまり敵の前線はヒダ一枚のところまで侵略してきたのだ。こうなったらジタバタしてはいけません。
最後の手段、我には秘策がある。
この場合、絶対にケツの筋肉をヒクヒク締めても駄目、こうすると逆効果になりウンチの先端が顔を出してしまう恐れがあるのだ。
むしろケツの穴を開くつもりで力を抜いてしまうのである。
出られるものなら出て見やがれ。
と、ケツを捲くるのである。ケツマクリとはここから出来た言葉かな。
意識も他所にもって行こう。鼻歌でも歌う余裕が欲しい。
こうすると敵は一瞬攻めるのに戸惑うものである。
これはボイルの法則・・いやシャールの法則だったかなぁ。
「温度が一定の時、固体の体積は気体の体積に比例する」とかだったと記憶している。
しかしまぁ、便意は悪魔の意思であるからまず勝てない。
もう駄目だとなったら諦めることである。
人間時には諦めも肝心だよね。
もう駄目って時に恐る恐るだした固体が、なんと気体であった時ほど嬉しいことはない。
地獄で仏とはこのことだ。誠にウンが良いのである。
その僅かなウンに賭けてがんばって欲しい。
 

おじさんは反抗期 9

 投稿者:shiger  投稿日:2005年 6月19日(日)22時48分14秒
  「便意を文学する」

いつからウンコを便と言うようになったのであろう。
これは文学的には明らかに間違いである。誤解も甚だしい。
が、これは日本の文豪と呼ばれる文学者たちも誤用している。
文学者など実に当てにならない存在である。
便は断じてウンコではない。
便は本来の意味は良い知らせ、便りである。郵便とか便利とかを見れば明らかであろう。
であるからウンコにおける便はウンコのお知らせと云うことなのだ。
ところが文学界のみならず医学界までもが大便、小便などと云う誤った表現を使っているのである。
便と云うお知らせに大だの小だのある訳がない。医者なんてものは実にいい加減なものである。
さて、今回のテーマである便意だが、いったい便意は自分の意志なのだろうか。いや、俺は便意こそ神の意志だと思う。
その証明は簡単である、赤子の手をひねるようなものだ。
なぜなら便意が自分の意志なら、その場では都合悪ければ便意を引っ込めることができる筈だ。しかし、便意は場所、時間、都合を選ばずに訪れるではないか。俺の便意は俺の都合など考えてくれない。
ましてや俺の言うことなど聞いてはくれないし、命令しても無駄だ。
「やい!便意!後にしろ!」と言っても駄目である。
だから神の意志としか思えない、いやいや、悪魔の意思かもしれない。
俺はこの悪魔の便意にどれだけ苦しめられたことか。
例えば小学五年生の時、俺には給食後の五時間目になると決まって便意がやって来た。
毎日、「先生!ウンコ」も切ない。第一僕は内気で無口な美少年であったのだ。女生徒の手前、毎日「先生!ウンコ」は死ぬより辛かった。
だから俺は毎日五時間目には死に物狂いで便意と戦ったのだ。
中学生の時も辛かった。
俺は野球部に入り、やっと球拾いから守備を任せてもらえるようになった頃である。放課後の練習時に決まって便意が襲ってくるのである。
そして忘れもしないあの日、初めて他校との練習試合にレギュラー出場した時であった。
確か五回裏、俺はセンターの守備についた。そして恐れていた便意に襲われたのである。それはいつになく強烈で俺は眩暈がした。
ふと後ろを見ると学校のトイレがあった。
気が付いたとき、俺はトイレの中にいた。野球部は首になった。
このように便意ってやつは時間による習慣性がある。
これを発見したのは俺ではなくガリレオである。その後ニュートンも慣性の法則を発表しているから俺は三番目かなぁ。
この悪魔の便意に苦しめられたのは俺だけではなく、俺の周囲にも沢山いたなぁ。
俺の魚釣りの師匠の一人であった千葉県那古船方の船頭、松五郎も気の毒であった。松五郎はよく俺と鯛つりに行ったが、鯛の当りがないと便意が来るのである。
が、そこは海に浮かぶ船の上である。二人乗りの伝馬船にトイレなどない。だから松五郎はいつも船の艫から海に尻を突き出してウンコをするのであった。
その日も鯛の魚信がなく、例によって松五郎が便意を催し、件のポーズでウンコを始めたその時、俺に強烈な鯛の当りである。
「きたっ!」俺の叫びに驚いた松五郎爺は船べりから手を離し、ケツからもんどりうって海に転落した。
鯛を釣るか、松五郎を助けるか、俺はしばし悩み苦しみ、やがて釣り竿を投げ捨てたのであった。ウンが良かったのか悪かったのか。
ことほど左様に便意とは憎むべき悪魔の意思である。
各々方、便意には充分注意されたし、軽く見てはいけませんぞ。
尚、便がウンコのことではないことが明確になった以上、トイレを便所と云うのも誤用である。
俺から言わせれば、便所は郵便局のことである。
小泉総理閣下、郵政民営化を強行するなら、民間の郵便局は便所と改名していただきたい。
 

おじさんは反抗期 8

 投稿者:shiger  投稿日:2005年 6月17日(金)23時19分42秒
  「愛とワイセツの径庭」

先のマイケル・ジャクソンの無罪判決でも感じたが、人間がやるジャッジメントと云うものは難しい。
一人でも難しいのに、複数の評決となるとさらに難解である。
マイケルは本当に無実なのであろうか、何もやってなかったのであろうか。アメリカだから疑わしきは罰せずの法則が優先されただけなのか。
わが友、三浦和義さんのロス事件最高裁無罪判決だって、未だに疑っている奴がいる。俺に本当はどうなのって聞きに来る馬鹿がいるもの。
閑話休題・・・マイケル・ジャクソンに話を戻す。
だいたい俺に言わせれば、ワイセツって云う定義そのものがいい加減である。
ワイセツ・・性に関することを、健全な社会風俗に反する方法、態度で取り扱うこと。(岩波 国語辞典)
これじゃ分からねぇ。
どこまでやったらワイセツな行為で、どこまでなら愛の行為なのだろう。そのジャッジは非常に難しい。
愛とワイセツにどれほどの径庭があると云うのか。
車の中での抱擁は愛で、電車内の抱擁はワイセツなのか。
映画館の暗闇はどうか?声を出さなければいいのか?
女性が街中で乳房を出せばワイセツなのか、俺には女性のオッパイがワイセツ物だとはどうしても思えない。
じゃ男のオッパイはワイセツではないのか。俺には男のオッパイなど見たくも無い、ワイセツ物そのものである。
さらに言わせてもらうが、警察がよく言う「淫らな行為」とはいったいなんなのか。
どういう行為を淫らな行為と言うのであろう。
それを淫行などと言う。俺はこの言葉を平然と使っている警察や裁判所やマスコミのほうがよっぽど淫らに思える。
お前さんたちがやってる行為は淫らな行為ではないのかい?
やってないと反論するなら、なぜ子供がいるのだ。なに?それは愛の結果です・・・じゃ淫らな行為の定義を教えてくれ。
淫らな行為・・性に関して、みだれてしまりがない行為。(岩波 国語辞典)
性行為なんてみんな乱れて、しまりの無い奴もよく締まる奴もいるではないか。
おっさんが若い娘とやる行為が淫らな行為なら、それは年齢的な基準の問題なのだろうか。ばあさんが男の子とやったらどうなるのだ。
さらに金銭が介入した行為もワイセツとされる。
じゃ金銭が介入しなくても、行為の後先にバッグだのブランド品を要求されるのは犯罪ではないのか。
実におかしいではないか。俺の知り合いなどたった一回の行為で結婚を約束されちゃった。これはワイセツな行為ではないのか。少なくても暴力行為である。
じゃワイセツとはなんだ?
俺はワイセツとラブシーンの違いに悩むのだ。
これをに理解してないと、淫らな行為で逮捕される恐れがある。
あっ、分かったぞ、一人だけ気持いいのがワイセツ行為で、二人とも気持いいのが愛の行為だ。
それにしてもこの判断は難しい、こんなことに悩むのは人間だけだよな。
オケラだってモグラだってアメンボだって、みんなみんなやりたい時にやりたい場所でやりたい相手とやっているじゃないの。
愛もワイセツもありゃしない。
こんな馬鹿な径庭を付けたがるのは人間だけだ。
俺は今度生まれてくる時はモグラになりたい。
 

おじさんは反抗期 7

 投稿者:shiger  投稿日:2005年 6月17日(金)21時48分29秒
  「ヘアドライアーを検証する」

世の中が急速に変動しても、旧態依然としたものがある。
それはそれで悪くはない。何も全て世の中に合わせる必要はないのだから。例えば電車の線路、こいつは明治時代から全く形を変えてないではないか。その上を岡蒸気が走ろうが新幹線が走ろうが線路の形は同じである。なんと素敵なアイデンティティを持った存在であろう。脱線しても線路に責任はない。
この線路ほどではないが、ヘアドライアーも世の中の変化に鈍感である。まぁ時々マイナスイオンが出たり遠赤外線が出たりするものが登場するが、これだって形状の変化ではない。
そこで俺は画期的な提案するぞ。
ヘアドライアーの新型である。それは二連式にするのだ。つまり二つのドライアーが一つになったもの、勿論二つに分けて両手に持っても使えるものだ。
なぜこんなものを考えたかというと、禿げたおっさんには理解できないだろうが長髪をシャンプーしたあとのブローは両手にドライアーを持ってやると乾きも速く、さらにセットも同時にできてしまうのだ。
実はこれは俺がスポーツジムのドライアーでいつもやっていることなのである。もう充分な人体テスト済みであるのだ。
隣の洗面台に客がくると嫌な顔をされる。だから一つが二つになればいいなぁと常づね考えていたのである。
必要は発明の母である。
さて、ここまでなら馬鹿でも考えつくであろう。俺は馬鹿ではない。
実はスポーツジムの洗面所でとんでもないことを発見したのである。
それはヘアドライアーの使用方法である。
なんとヘアドライアーで下の毛、つまりチンチンの毛をドライする輩の存在である。
それがマイノリティなら俺は直接注意する。しかし、その行為をする輩は実に十人中七人、相手は多数派である。
多勢に無勢・・洗面所における俺の常識は非常識になりつつあるのだ。
さらに観察すると、下の毛をドライしている顔をしながら、奴らは金的をも冷やしているのだ。なんと助平にも金冷法を試みているのである。
さらに観察するとケツの毛まで乾かしている奴もいる。
もう勘弁して欲しいよ。
俺の行くジムは六本木にあって外国人も多いので、今ではこのヘアドライアー使用法が国際的になっちまって大流行である。
白や黒の毛むくじゃらが全身をドライしてたりするのである。
俺がドライアー二連式を提案するのはこんな訳である。
二つあれば頭用とチンチン用になるではないか。
もう特許料も実用新案の権利もいらないからメーカーさん、早く作ってください。頼む。
このドライアーで下の毛をドライする輩は年齢的には老若錯綜しているが、おっさんも結構多い。おっさんの大多数は禿げ、乃至は禿げ予備軍である。
気持は分からないでもない。同じ金払っても禿にはドライアーが無用である。これは確かに理不尽である。
飛行機の洗面所で女性の生理用品があっても男には使えず、なにか損をしたような釈然としない気分になる、あの時の気持と同じなのであろう。多分ね。
 

おじさんは反抗期 NO5・6

 投稿者:shiger  投稿日:2005年 6月11日(土)21時52分46秒
  「無駄な努力・無駄毛を考察する」

無駄な努力は地球の生命体においては人間だけの所業である。
他の動植物は生きる上で決して無駄な努力などしない。
それが如何に馬鹿げた行為であるかを理解しているからだ。
皆んな生きることに真摯で真面目なのである。
そういやぁ人間以外の生物で不真面目な奴はいないなぁ。
僅かにナマケモノって云う動物がいるが、あいつは決して生きることにナマケてはいない。ただ齷齪(アクセク)しないだけなのだ。おれの生き方に似ていなくもない。俺は天下の怠け者である。
なんの話だっけ・・そう無駄だったな。
人間の無駄な行為の筆頭は無駄毛の処理である。
だいたいにおいて無駄毛という概念そのものがおかしい。
人間の身体には無駄な部分はない。神様がそのように創ってくれたのだから。まぁ強いて俺が神様にイチャモンを付けるとすれば男のオッパイである。これだけはその存在を理解できない。
なんの為にあるのだろう。俺は時々、眠れない夜に真剣に我がパイオツを見つめ考え込むことがある。
別にミルクを生産する訳でもなし、触っても気持が良い訳でもない。
これは明らかに無駄なものであろう。神の蛇足である。
しかし、人間の毛は無駄だとは思わない。
それなのに女性どもは全身の脱毛に大金を投入しているのである。
なにを考えているのだろうか。全身を脱毛して、それじゃ蛸と同じではないか。そんなつるつる肌は気持が悪いだけだ。
それも永久脱毛なんて、女の鮮やかな一生を蛸で過ごすつもりなのか。
実に悲しい。男は女のそんなことに惚れる訳ではないのだ。
毛などあっても構わない。いや俺は寧ろ毛深い女性が良い。
二の腕や背中の汗で銀色に光る産毛なんて思い浮かべるだけで興奮してしまうのだ。
もっともゴリラのような毛むくじゃらは勘弁願いたいが。
女はエステの永久脱毛や脱毛器に大金を払い、男は植毛やカツラや毛生え薬に大金を払う。
人間ってなんて不思議な生物なんだろうね。
だいたい無駄毛の処理なんて誰がいつから始めたのだろう。
恐らく石器時代には無かったはずだ。
わきの下の毛なんて誰が抜き始めたのだろう。
わきの下の毛などあってもいいではないか。えっノースリーブの時に見られてしまう・・見やしないよ、女のわき毛なんか、気持悪いよって俺も毛無しに慣らされてしまったようだ。
慣れって言うのは恐ろしい。
じゃ百歩譲ってわき毛は処理して、なんで恥毛は処理しないのだろうか。えっ見えるか見えないかの違いです・・じゃ聞くが頭の毛は見えるが何故生やしておくのでしょう。
ほら、女性のやることは矛盾しているじゃないか。
さて、この無駄毛の処理って言う人間の愚挙を改革するために俺から提案がある。
人間の毛は無駄ではないキャンペーンに賛同してほしいのだ。
毛はすばらしい、そうだキムタクとベッカムをモデルにしたCMを作ろう。「ぼくたちは、わき毛大好き、全身発毛カッコいい!わき毛は真夏のアクセサリー、みんなで毛だらけになろう!毛・生えてますかぁ」
そうだ、わき毛や恥毛のカラーリングを流行らせよう。
これはきっとブームになりそうだ。
しまった!商標登録しておくべきだったぞ。
 

無駄な努力・おデブさん

 投稿者:shiger  投稿日:2005年 6月11日(土)19時52分42秒
  人生において、まともな努力をしない奴に限って無駄な努力をしている。あの無駄な努力のパワーをまともな努力に変換したらいいのになぁと思う。
たとえばダイエットである。
だいたいダイエットをする奴はおデブである。おデブは過食である。
食いすぎなけりゃおデブにならないように人間の身体は創られている。
「やだぁこれ食べたら太っちゃいそう・・」
なんて言う奴に限ってすでにおデブである。
「わぁ、これ美味しそうだけど太りそう・・」
なんておデブに限って肥満の原因を食い物の所為にする。
食い物に罪はない。悪いのはおデブな人間たちだ。
だいたい俺から言わせれば、おデブは地球環境の破壊者である。
貴重な食料を余分に搾取し、尚且つそれを下剤などの薬品によって排出する奴もいる。
これは犯罪に近い暴挙である。
だいたいダイエットに痩せるとかスリムになるなんて意味はない。
DIETの語源はDAY EATである。一日の食事って意味なのだ。
健康食品会社がおデブを騙すために勝手に名づけた名称である。
おデブさんたちはそれに踊らされているのである。
だいたい健康食品なんて言い方が変だと思わないのだろうかね。
じゃ通常の食事は不健康食品なのか・・食事は誰だって健康維持の為に食っているのじゃないのだろうか。
わざわざ健康食品なんて云うことのほうが変だよな。
関係各社は直ちに不健康食品と名を変えるべきである。もし良心の欠片でもあるならばだが・・。
だいたいおデブには二種類ある。
おデブになる奴となっちゃう奴である。前者はすばらしい人生観の持ち主である。なんらかの事情があって自ら進んでおデブになるのだから。
この代表に相撲取りとAVの女優・男優のデブセンがいる。
しかし後者はいけません。このジャンルのおデブは自己管理能力がないのである。だから痩せる努力をしてもすぐリバウンドするのは明らかである。
で、俺である。俺は果たしてデブなのか自問自答の毎日である。
なにしろ飯が美味い。いつも食いたい物を食いたいだけ食ってしまう。
俺もそろそろ地球に優しい男にならなければ・・あぁ腹が減ったぜ。
 

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